2回目の経験、掻爬手術
9:00
病院へ。エコーをし、空っぽの胎嚢を最終確認したのちにラミセルを挿入。これが痛すぎて身をよじり、思わず声が出た。
病棟へ。病衣に着替えてベッドに横になる。なんと2人部屋。お隣も流産の手術待ちなのかな、と思いきや、妊婦さんの管理入院だった。朝の検診でカーテンの向こうから胎児心拍が聞こえてくるのは心に良くない。
10:00
助産師さんが点滴を刺しに現れる。ふと絨毛染色体検査の存在を思い出し、助産師さんに検査の希望を伝える。しばらくして担当医が現れ、説明したいとのことで個室へ。
・検査キットの解凍に2時間かかること
・自費なので8万ほどかかること
キットの解凍とかあるのねー!!そうとは知らず気軽に言ってしまった。8万は悩むので15分だけ時間が欲しいと伝え、病室へ戻る。ソッコーネットで検索しまくり、染色体検査をした方が良さそう(医療保険も入るし!)と結論を出してナースコールで検査依頼。
これにより11時に予定していた手術が12時半に。
昨夜から飲まず食わずだけど、点滴のおかげか喉も乾かずぼーっと過ごしてた。
11:35
これからお昼が始まるから、隣の匂いも気になるだろうし別の部屋に行きますか?と助産師さん。その配慮はありがたい!でもそれだったら最初から個室が良かったよ〜!
通されたのは1人目を産んだ時に使った陣痛室。懐かし〜!!部屋を見渡してしっとりと思い出散歩をしていた。
12:00
思ったより早く準備ができそうなので、とのことで分娩室へ。あーやだなーやだなー。この時間、本当に嫌い。
部屋には助産師さんが3人、先生が1人。サチュレーション、血圧、心電図をセットして「じゃあ麻酔入れますね」から体感覚的には10秒くらいで堕ちた。
ここからが悪夢だった。
身体から意識が無理矢理剥がされて、部屋ごと回転しながらどこまでも昇っていき、自分を自分だと認識できなくなった。昇っていたと思ったら今度は落ちていった。暗い色に包まれてどこまでも落ちて行く。その次は右上の方から水色が降ってきた。この辺りから無意識に喋っていた記憶がある。
「水色が降ってくるー」
と同時になんとなく周りに人がいる感覚と、身体に痛みを覚えた。目は開けられない。
「ねーもうやめようよー」
「だって起きちゃったよ」
「起きちゃったんだもん」
「いたいいたいいたいいたい」
「やだやだやだやだ」
こう言ったのは記憶にある。でも自分が意思を持って言ったいう感じではない。無意識に勝手に喋っている。
後から聞いた話だと、痛がっていたので麻酔を足したらしい。私は再び堕ちた。
またぐねぐねとした概念の世界に飛び込み、しばらくしたら
「行かないで」
「行かないで」
と喋っていた。ベンチに誰かと座っていたが、そのベンチと誰かは天に昇っていってしまったのだ。
「もう終わりにしよう?」
と言うと『もうすぐ終わりですからねー』という声。
「終わりにしよう」
「だって2回も流産なんて」
「そんなのつらいよ」
「終わった?」「終わった?」
めちゃくちゃ喋る自分。身体が勝手に喋っている。
『はい、終わりましたよ』
「終わった?」
「終わった?」
『◯◯さーん、終わりましたからね』
そう言われた瞬間、私は泣き出した。涙が溢れてくる。声をあげて泣いている。
この時、まだ意識が身体に戻っていなかった。自分が誰かも分からなかったし、本当に2回も流産していま手術中かなんて現実にも居なかったし、なんなら自分に家族がいることも忘れていた。それくらい意識(無意識かも)は何もない世界にいた。
そのまま分娩台のベッドに寝かされたまま、放置された。目を覚まそうにも開けられないし、身体も動かせない。しばらく泣いたり、寝たりしていた。
サチュレーションを付けた右手がぶら下がり状態になっていたのでつらいが、自分で戻せない。
「すみませーん」
「だれかー」
「だれかー」
「みぎてがつらいですー」
「みぎてがー」
ほとんど声になってないのが自分でも分かるくらい、喋れてない。実生活で「だれか」なんて言ったこともない。
そんなこんなで時計は13:45。
身体を横にすることはできるけど、全然起き上がれない。
「おふとんで寝たい」
と車椅子で移動することに。えっちらおっちら車椅子に座った途端、泣き出した。大泣きした。身体が勝手に泣いてた。
わーんわーん。大泣きしたら気持ち悪くなって吐いた。
車椅子の移動も辛かったから近くの空き部屋で休ませてもらうことに。16時くらいまでベッドに横になるけど全然良くならない。水も飲めてない。
そこからなんとか歩いて診察に行き、子宮自体は問題ないとのことでタクシーで帰宅。
2回目の手術は終わった。
9週4日〜2度目の繋留流産、手術待ち〜
ダメかも、と言われて3週間。
奇跡は起きなかった。
ダメ押しで診てもらったエコーでは、
胎嚢は歪んで小さくなっていた。
つわりもいつのまにか無くなり、
時折腹痛を感じるように。
自然排出か、手術か、と言われて
いつになるか分からない自然排出を待つ気になれず、手術を選択。
やだなーやだなー。
あの生き地獄をまた経験しなくちゃいけないの?
ギリギリまで会社に行こうと思ったけど、腹痛が気になって手術当日まで休むことに。
前回と違って姿すら見えなかった今回。
胎嚢は空っぽのまま終わってしまった。
なんとなく冷静な自分がいるけど、単に思う存分悲しむことができていないだけな気もする。
8週2日〜胎嚢空っぽ〜
流産後、二回生理を見送って妊活を再開!
1パーセントでも確率を上げるために人工授精をスタート、その二回目で妊娠検査薬が陽性に!
やったーやったー
流産後すぐの妊娠は流産しにくいってネットで見たし今度こそいける!
るんるんでクリニックへ。胎嚢しっかり見えて次は心拍だねーなんてウキウキ。
2週間後にクリニックへ。
大きくなる胎嚢。
見えない心拍。
7週相当なのに、どう頑張っても見えない。
「今の時期に心拍が見えないのは流産の可能性があります」なんて言われて頭真っ白。
念のため来週またみてみましょう、と言われてから一週間、ブログにツイッターにインスタの検索魔に。「7週 胎嚢 空っぽ」「8週 胎芽 見えた」もう何回検索したか分からない。朝会社に行く前に神社に寄って神頼み。どうか神さま、この子をこの手に抱かせてください。
迎えた8週、診察とは別の面でクリニックの対応に不信感が芽生えたので別の病院へ。そしたらものすごく丁寧に見てくれた。うすーく見える胎芽っぽいものを拾って心音も確認しようとしてくれた。でも、見えない。音も聞こえない。
胎嚢は1日1mmずつ大きくなっている。
前回は動いていた心拍が止まる、という誰の目にも明らかな流産だったけど、今回は「見えない」という諦めのつきにくい現象で、いまも諦められない。
9週で奇跡的に心拍が見えた人がいるというのをいくつか聞いたから、9週いっぱいまでは我が子を信じて待ちたいと思う。
次の診察は一週間後!
掻爬手術後の検診(3日後)
術後3日目と7日目に検診を、とのことで3日目検診へ。
外出するとき、リュックについた妊婦キーホルダーを外して、引き出しにしまった。
産婦人科なので待合室は妊婦のみ。
みんながバッグに妊婦キーホルダーをつけているのが目に入る。
いいなぁ…
お腹が大きいの、羨ましいなぁ…
受付で、お腹の大きな女性が分娩後の入院について説明を受けているのが聞こえる。
いいなぁ…
時間が午前の受付の終わり頃だったためか、
待合室もほぼ満員。
雑誌を何冊か読み終え、ぼーっと待っていた。
そんな時だった。
待合室にまで響き渡る声が聞こえてきた。
あ。赤ちゃんが産まれたんだ…。
この世に産まれてきた、力強い産声。
私の子もこうやって産まれてきてくれるかもしれなかったんだ…
新しい命が産まれる歓びと、
決して迎えることのできないお腹の子の悲しみと、
感情が不安定に行ったり来たりした。
上の子が産まれた時もこんな声だったのかな。そんなことも考えたりした。
しばらくして、今日退院するらしい赤ちゃんとお母さんも待合室に来た。
いいなぁ…
私も抱っこしたかったな…
目に入る光景がすべて辛かった。
大好きな赤ちゃんなのに、ツライ、と感じてしまう自分を知って辛かった。
診察室に呼ばれた。心拍が確認できなかったのもこの部屋。最期のエコーをしたのもこの部屋。できるだけ感情に蓋をした。
帰りのバスを待っている時、涙が出てきた。
11週掻爬手術の記録②
14:00
目が覚めた。まだ視界は8割くらいだけど、なんとか自力で起きられる。ボーッとベッドに座っていたら助産師さんが来てくれた。再びトイレへ。今度は一人で大丈夫。
その後、軽食を食べる。あたたかいホットケーキ。アイスティ。
14:30
ナースコールで呼び出しあり。診察をするので診察室へ、とのこと。このボロボロの姿で妊婦さんがたくさんいる待合室に行くのが精神的に辛かった。
内診台で診察。「ちょっと子宮内に血液が残っているけど、大丈夫でしょう」とのこと。
取り出した赤ちゃんを見たい、とリクエストしていたので、見せてもらう。小さな金属のトレーのようなところに組織の塊のようなものがある。
「これが絨毛ね。一応病理検査に出すから」
赤ちゃんの身体は分かりませんか?
「これじゃないかな、けっこう溶けちゃってるけど」
そう言いながらピンセットで乱暴につつく。私の赤ちゃん、もっと丁寧に扱ってよ!そのときはこの言葉すら浮かばなかったけど、あとあと怒りとなった。こんな小さな姿では、命の尊厳も守られないのだろうか。たしかに存在した命なのに。
その後、強い腹痛や発熱などがあったら連絡を、と言われる。病室に戻って良いと言われ、診察室を出るときに医師に言われた言葉がいまも引っかかっている。
「次に妊娠するときは、妊娠初期は大事だから。赤ちゃんの急変もあるから診察の間隔をあけないで」
そのあとなんて言ってたかな?覚えてない。
助産院にも受診がこのタイミングになることは相談してました、とかろうじて返答して診察室を出た。
なにそれ?
じゃあ一週間早く来ていれば赤ちゃんはまだ生きていられたの?死んじゃったのは私のせいなの?
流産手術直後で心身ともにボロボロだったわたしには、責められているように聞こえた。
もちろん向こうはそんなつもりじゃなかっただろう。赤ちゃん最優先で必要なことを言っているだけだ。でも、小さな命を失ったばかりのタイミングで言うことじゃない。ましてやあなたとは今日が初対面で何の信頼関係も出来ていない。あなたから言われたくない。
悔しくて、病室に戻ってまた泣いた。泣きながら着替えた。
ナースステーションに寄ったら、担当の助産師さんが私の赤い目を見て「どうしたの?」と声をかけてくれた。それがスイッチとなり、大泣きした。どこまでも不安定だった。
その後40分くらい、寄り添ってもらいながら少しずつ話をした。助産師さんは本当にすごい。心のケアもプロだ。
やっと落ち着いて、病院を出たのが16:30。
帰りはタクシーで帰った。
付き添いは無かったけど、最期の時間をゆっくり過ごすことができたのは良かった。
長くて短い一日だった。
11週掻爬手術の記録
8:30 入院(今回は日帰り)
8:45 診察
所見変わらず、胎児の融解が始まっていることを確認。子宮口を広げる処置。最期のエコーが欲しかったので医師に依頼。これは言わないともらえなかった雰囲気なので、言ってよかった!!
9:10 病室へ
個室でありがたい。点滴のルートをとる。血圧を測る。泣かないようにしていたのに、助産師さんに優しくしてもらって泣く。手を握ってもらってさらに泣く。
〜しばらく泣いたりボーッとする〜
赤ちゃんに最期の手紙を書こうと思ったけど、書けなかった。隣の部屋から生まれたばかりの赤ちゃんの声がする。可愛い。たまらなく可愛くて、泣けてくる。
11:00 手術室へ
歩いて手術室へ。そういえば手術というのは生まれて初めて。緑のシートの上に銀色の手術グッズが並べられているのを見て急に怖くなる。
右腕で再度血圧を測る。左手の指にはサチュレーションを測るやつを装着。色々と準備が進んでいく。酸素マスクがかぶせられた。怖い。
「ぼーっとするお薬入れていきますね」
慣れてないからなんか緊張しますね、と言ったのは現実だったのか夢だったのか分からない。
私は明るくて、白い空間にいた。色とりどりに織られた毛糸の階段を降りていった。白い帽子をかぶり、白いマスクをし、白衣を着た人たちがいた。しばらくすると、私はその階段をのぼっていた。あれ?のぼってるな。そう思った次の瞬間、
「ストレッチャーとってきますね」
遠くの方で声が聞こえる。私は「うー」「うー」と唸っているようだ。肉体は声を出しているけど、意識ははるか後方にある。そんな声を出そうと思って出していない。
「ちょっと移動しますからね」
この声はなに?身体が揺さぶられているようだけど、私は一体どうなっているの?なにが起きているか全然分からない。
ここはどこ?喉かわいた、ここはどこ?
「お部屋ですよ」「もうちょっと意識がはっきりしたら飲みましょうね」
喉かわいた、喉かわいた
私はここにいるけどここにいない。頭に思い浮かべることが、そのまま言葉に出ている。
うわ言のように同じ言葉を繰り返しながら、「また来ますからね」という助産師さんの声をはるか遠くに感じつつ、眠りに落ちた。
不意に時計を見ると、12時。
思うように身体が動かない。意識と身体が一致しない。意識も3歳児くらいの言葉しか出てこない。
あれ?夢だったのかな?
そういえば、取り出した赤ちゃんを見たいって助産師さんに依頼した記憶があるけど、あれは現実?夢?
トイレに行きたい。
急にトイレに行きたくなった。でも身体は全然動かない。
しばらく休んだ。その間も頭に浮かんだことがそのまま言葉に出てくる。そんなつもりないのに。
やっぱりトイレに行きたい。
ナースコールを押した。
介添をしてもらいながら、ふらふらする身体でトイレへ。なんだろう。例えるなら酩酊状態。
ベッドに戻り、水を飲んだ。
だめだ。まだ起きていられない。
「もう少し休みましょう」
私はその言葉を聞いて、目を閉じた。
10週5日〜稽留流産が分かった日②〜
どれくらい泣いただろう。
わんわん泣いた。
少ししたら落ち着いたので、帰宅後の習慣である手洗いうがいをした。
もしかしたら夢だったのかな?
それくらい現実味が無かった。
現実を受け入れることができていなかった。
荷物を片付けよう、と思ってカバンを開けたら、母子手帳が見えた。初診の記録だけ書いてある母子手帳。
ここにはこれから成長の記録や、予防接種のスタンプラリーの記録が載るはずだった。
その母子手帳には今朝のエコー写真が挟まっていた。3センチほどの赤ちゃんがしっかり写っていた。手も足もしっかりあって、頭の形もキレイ。美人さんだ。
エコー写真を見たら、また涙が溢れてきた。
心拍が止まったのはおそらく先週。
その日、その時、私は何をしていたんだろう。
気づいてあげられなくて、本当にごめんね。
あと一週間早く病院に来ていたら、元気な君が見れたんだろうか。
でも、もしそうだとしたら先週は仕事のピークだった。知っていたらまともな自分ではいられなかっただろう。
気づかれないように静かに逝ってしまったのだろうか。
頭の中で、現実や過去、未来をふわふわと行き来しながら時間が過ぎていった。
時計を見たら、13時。
良かった。娘のお迎えまでまだ時間がある。
それまで泣き尽くそう。
そうでないと、見慣れた顔を見た瞬間に泣いてしまうと思った。
掻爬手術の同意書を眺めながら、来週いっぱいは会社を休みたい、そう思った。
なんなら一か月くらい休みたい。
いまちゃんと悲しんで、深い悲しみや胸の痛みを味わっておかないとあとで絶対後悔すると思った。
自分を偽って仕事をするのは、私の仕事柄を考えても良くない。
気持ちが少し落ち着いたところで、妊娠を打ち明けていたごく限られた会社の人たちに連絡をした。まずは一週間休みをもらうことにした。
みんなからのメールが心にしみて、返信が来る度に泣いた。
夕方まで、部屋の電気もつけずにひたすら泣いた。目はパンパンに腫れた。
そろそろお迎えに行かなきゃ。
メガネをしてマスクをかけた。
これならだいぶごまかせる。
それなのに、保育園では普段会わないママ友になぜか会いまくり、保育士さんもかなり話しかけてきた。
普段と様子が違うのがバレてたのかな。
でも必死に取り繕って、笑顔で話した。
娘と手を繋ぎながら、いつもの道を帰る。
いつもより娘の手を握る力が強くなった。
離したくなかった。
娘には妊娠していることは言っていなかった。
でも伝えようと思った。
「おかあさんね、今日いっぱい泣いたの」
「どうして?」
「とっても悲しいことがあったの」
「何があったの?」
質問に答えようとすると、声が震える。
「おかあさん、どうしたの?」
「何が悲しかったの?」
3歳の娘が心配そうに私を見つめている。
「お腹にね、赤ちゃんがいたんだけどね、心臓が止まっちゃったの」
それから少しずつ説明した。
「あかちゃん、死んじゃったの?」
そうだよ。そう答える私は涙を我慢できなかった。
それでも夜の日課はある。夕食を作り、食べ、お風呂に入り、娘と話をしながら寝た。夫は仕事で遅かった。まだ大人と話せる状態じゃなかったから、帰宅が遅くて良かった。じゃなきゃ自分を保てなかった。
土日の予定もキャンセルし、ここからの一週間はとにかく自分とお腹の子、そして家族のための時間にすることにした。